大切な人を喪うことは、通常でもとても辛い体験です。新型コロナウイルス感染症が続く中で大切な人を喪うことは、さらに困難な体験だと思います。新型コロナウイルスの流行は終息する時が来ますが、私たちが喪った人々を大切に思う気持ちに終わりはありません。

私たちの人生のもっとも辛い時、すなわち、愛する人 ― 両親、兄弟姉妹、配偶者、子ども、友人 ― をなくした時のことを考えますと、喪失を悲しみ、離別に苦しむ時であっても、次のような強い確信が心から湧き起ります。「すべてが終わりになることはない、人生が死をもって終わることはない」と。

私たちは主の限りないあわれみに信頼して、人生を主と共に歩むなら、地上の生涯の最期の時を受け入れる準備をすることができます。それは、顔と顔とを合わせて主を仰ぎ見ることを期待しながら、私たちを受け入れてくださる主の御手に信頼をもって決定的に自分をゆだねる時となるからです。イエス・キリストの復活は、死を超えたいのちへの確信を与えてくださるだけではなく、私たち一人一人の死の神秘そのものも照らしてくださいます。ですから、主イエス・キリストに結ばれ、イエス・キリストに忠実に生きるなら、死への歩みにも、希望と落ち着きをもって立ち向かうことができます。

どうすればイエスに結ばれ、忠実に生きることができるでしょうか。祈りと、秘跡と、愛の実践を通してイエスに寄り添っていくことによってです。

私たちは、イエスが最も無力な人、貧しい人の中におられることを思い起こします。最後の審判の中で、イエスご自身が「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。・・・わたしの兄弟であるこの最も小さいものの一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・35-36,40)と言われます。ですから、苦しみを共有し、希望を与える連帯は、私たちのために用意された御国を受け継ぐための前提条件です。あわれみのわざを行う人は死を恐れません。

11月は死者の月です。この機会に、父なる神とイエスと共に、そして聖母と諸聖人と共に永遠のいのちを願い求めながら、死者への思いと感謝、そして大切な人たちを置き去りにすることなく、死者のために祈りながら、故人との絆やその人生と共に生きていきましょう。お祈りのうちに!