長い間の感染症の大流行によるさまざまな制限に限界を感じている方が多くおられると思います。

コロナ禍のためだけでなく「信仰の旅」と「福音宣教活動」においても、「不毛のときも、結果が表われ出ない時もあり、かなり疲れてしまうことさえあります。」(『福音の喜び』287番)

暗闇の内に過ごしている私たち一人ひとりは、マリアの生涯を是非思い起こしましょう。 マリアはイエスの受難の時に十字架のもとにたたずんで、母としてイエスの苦しみを共にしました。これを含め、マリアの生涯には「シメオンの預言」「エジプトへの避難行」「神殿でイエスを見失い、3日間捜した出来事」「十字架の道を歩むイエスとの出会い」「イエスの十字架のもとにたたずむマリア」「イエスの遺体を十字架から引き降ろしたこと」「イエスの埋葬」という七つの悲しみがあります。

使徒的勧告『福音の喜び』の286番の中で、教皇フランシスコは、「マリアは、粗末な布とあふれるほどの優しさをもって、動物の岩屋をイエスの家へと変えることができるかたです。賛美のうちに喜びに打ち震える、御父のはしためです。わたしたちの生活に葡萄酒が足りなくなることのないよう、つねに気を配る友です。心を剣で刺し貫かれたかた、あらゆる苦しみを理解されるかたです。すべての者の母として、正義を生み出すまで産みの苦しみを味わうすべての民の希望のしるしです。マリアは、わたしたちの人生に同伴するために身近な存在になってくださる宣教者であり、母の愛をもって、わたしたちの心を信仰へと開きます。真の母親として、マリアはわたしたちとともに歩み、ともに闘い、神の愛で絶え間なくわたしたちを包んでくださるのです。」と述べました。

また同じく284番でも「マリアは、福音をのべ伝える教会の母です。マリアを抜きにしては、新たな福音宣教の精神を十分に理解することはできません」と述べています。

今年もコロナウイルス感染拡大防止対策として、共同体のロザリオの祈り・ロザリオ祭を中止せざるを得ない状況です。共同体として共に祈ることができないのは、まことに心が痛むことであり、共同体全体にとっても残念なことです。

教会だけではなく「家庭での個人的な祈り」という側面が一層大切であることを、改めて認識し、「宣教月間にあたって、私たちが日々の生活を通して、職場や家庭それぞれの場で、キリストの福音を伝えていく者となりますように」という日本の教会の意向を、希望と喜びをもって、共に祈りながら進みましょう。