先月号の「堅信の秘跡による聖霊の賜物と堅信式に用いられる塗油・霊印」に続き、「堅信の効果」について思い起こしましょう。

人間の私たちは、身体的、精神的、理性的な側面からの成長があります。この成長の根底には、信仰の成長があり、人間の人格的成長と深くかかわっています。

人間は、「神にかたどって創造され」(創1・27)、神から「いのちの息を吹き入れられた」(創2・7)存在です。人間の中に両面があります。一面としては、人間の目先にいろいろな欲望があり、それらの欲望に束縛され、振り回されてしまうことがあり、欲望の奴隷になりがちです。反面には、それらの困難や試練や誘惑などに出合った時でも、神のことばを聴き、その教えを心にとどめ、聖霊の助けを願い、自分で判断し、決断をしながら、それらを乗り越える力を身につけることができるのです。私たちは誰でも、外面的成長を伴って、神の前で自分の未来に対して重要な責任を負っています。その責任を果たすために、聖霊の恵みと力が必要です。この聖霊の恵みと力は堅信の秘跡を受けることによって得られます。

堅信によって、自分の世界だけにとどまらず、心を他の兄弟姉妹との関わりへと開く恵みも受けます。この聖霊の恵みと力によって、洗礼の秘跡の時に受けた信仰・希望・愛を増大させ、深め、神の国と神の義をいっそう豊かに味わうことができるようになるのです。また、周りの人々に信仰・希望・愛の喜びを知らせることができるようになります。

しかし、祈りなしには信仰の成長はあり得ません。ですから、日常生活の中で、三位一体の神と対話を重ねていくことはとても大切です。何よりも日曜日ごとに、共同体の一員として心を合わせてミサを捧げるべきでしょう。

私たちの心は、生涯の最後の瞬間まで絶えず成長し続けることができます。この成長とは、私たちの利己心・欲望に死んで、神と隣人への愛に復活することです。日々の生活には、自分の「考え方、生き方を自分中心から神と隣人中心へと向け直す」という“回心”が必要です。なぜなら、悔い改めることによって私たちの失敗を踏み台として新しい出発と更なる成長をもたらすことができるからです。

どうかこれから始まる毎日の生活の中で、自分を振り返り、神の恵みを思い巡らしながら、心の平和・健康を取り戻すために祈りと回心の務めを果たしていきましょう。