朝晩はずいぶんと涼しくなりましたが、皆様はどのように過ごしていますか。

いつかは絶対聖地イスラエル-エルサレムに行きたいと思っていたところ、817日(土)~28日(水)「大阪教区司祭聖地巡礼と黙想の旅があったので、念願かなって行かせていただきました。もちろん、イエス様の歩いた足跡をたどり巡礼をしたり、嘆きの壁などのユダヤ教の遺跡とか、イスラム教のモスクとかを巡礼したり、死海での浮遊体験をしたり、旧約聖書と使徒言行録の遺跡などを訪れたりしました。巡礼のクライマックスになったのは黙想して「ゆるしの秘跡」を受け、派遣ミサを共に捧げたことです。感謝の気持ちでいっぱいで、「さぁ、はじめよう」と新たに決心しました。

さて、先月号に続き、今月号は教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』の第一章の「出向いていく教会」を要約し紹介したいと思います。

「あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいていたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ2819-20

イエスの命じる「行きなさい」という言葉は、教会の宣教の常に新たにされる現場と挑戦を示しています。すべてのキリスト者、共同体が、宣教のこの新しい「出発」に招かれています。自分にとって快適な場所から出て行って、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気をもつよう招かれているのです。

宣教の喜びは、共同体の生活を満たす福音の喜びです。その喜びは、常に、新たに、より速くに種を蒔き続けます。イエスの模範に忠実であるために、現代の教会があらゆる人に、あらゆる場所で、あらゆる機会に、ためらうことなく、嫌がることなく、恐れることなく、福音を告げるために出向いて行くことが重要です。福音の喜びは民全体のためです。

「出向いて行く」教会は、宣教する弟子たちの共同体です。彼らは率先する人、かかわり合う人、寄り添う人、実りをもたらす人、祝う人です。福音宣教する共同体は、主がイニシアティブをとり、先に私たちを愛してくださったことを知っています。だから、前進し、恐れることなくイニシアティブをとり、行って遠くにいる人を捜し出します。福音を宣教する共同体は、行いと態度によって他者の日常生活の中に入っていき、身近な者となり、自分をむなしくしてへりくだり、人間の生活を受け入れ、人々の内に苦しむキリストのからだに触れるのです。福音宣教には、多くの忍耐と、限界を設けず向き合うことが必要です。そして、福音を宣教する共同体は嬉しさに満ちていて、いつも「祝う」ことを知っています。

では、聖母マリアの模範を見倣って、彼女の取次によって「福音宣教特別月間」を過ごしていきましょう