親愛なる兄弟姉妹の皆さん。
残寒去りやらない日々ですが、どのように過ごしていますか。
「気を落とさずにたえず祈りなさい」という聖句は、ルカによる福音書18章1-8節に書かれています。このたとえ話の主人公は、不正な裁判官にしつこく嘆願した一人のやもめです。たとえ話の終わりにイエスは「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」(ルカ18・7)と言います。神は、昼も夜も叫び求めている人々のために聞いてくださる方です。神に「昼も夜も叫び求める」ことです。
私たちの中に、「なぜ神はこのようなことを求めるだろうか。神はすでに私たちに必要なことを知っているのではないか」などという疑問がありましょう。
神が熱心に祈るよう私たちを招くのは、私たちが必要とするものを知らないから、私たちの祈りを聞いていないからではありません。むしろ、神はいつも愛をもって私たちの祈りを聞き、私たちのすべてを知り、同行しています。日々生活において、特に困難な時にある悪と誘惑との戦いの中で、主は遠く離れているのではなく、「インマヌエル」としてそばにおられます。神はそばにいてくださり、あわれみと力を与えてくださいます。それを実感できるのは祈りです。
悪や誘惑などとの戦いはすぐ終わるものではなく長いもので辛いのです。それは忍耐と堅忍を必要とします。毎日、戦わなければならない戦いが存在します。しかし、人間の私たちは弱くて諦めやすい者です。ですから、神への信仰は私たちの力であり、堅忍の源です。祈りはこの信仰を表すものです。
また、イエスが「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28)と言われています。主は、私たちが必要とするものを私たちよりも知っているからです。主は、善といつくしみをもって悪に勝つために、日々、あらゆる時にご自分とともに戦うよう、私たちを招かれているのです。ですから、悪に勝ち、忍耐と堅忍を得るためにたえず祈らなければなりません。全ての仕事に全身全霊で神のみ心に敵うためにやるならば、素晴らしい祈りになるでしょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5・16-18)という聖パウロのことばに従って頑張っていきましょう。
季節の変わり目ですので、風邪など召しませんようにお体に気を付けてください。感謝と祈りのうちに!