親愛なる兄弟姉妹の皆様
全世界を襲っている恐ろしい新型コロナウイルス感染症拡大のため、私たちを含め、多くの人は引き起こされている身体的苦痛から経済困難に至るまで、悲しみと苦難のただ中で孤独な聖週間とイースター・復活節を過ごしました。世界のほぼすべての教会が閉鎖される中で、13億人以上のカトリック信徒は、もっとも聖なるイースターを仕方がなく自宅待機の中で過ごしました。私たちもこの感染症のことだけでなく、多くの原因によって悩まされていること、心配していることがあると思います。
ヨハネ福音書では、主イエスの弟子たちの恐れたことについて書いてあります。弟子たちは師であり救い主である主イエスが逮捕され、殺された後、大変恐怖におびえました。聖書は「弟子たちはユダヤ人を恐れて」と書いてあります。その恐れとは自分たちにもどんな迫害が及ぶのか、街にはイエスの残党を探して捕えようとしている人がいるかなどです。弟子たちは恐怖におびえ、一つの家に閉じこもり、中から鍵を掛けて災いが過ぎ去るのを待っていました。
単なる恐れではなく、弟子たちの奥深い所には平安がないと言えるでしょう。彼らはいくら鍵を掛けて閉じこもる所にいると言っても、真の安心感がなかったでしょう。現代社会に生きる私たちも多くの原因で精神的にも身体的にも駄目になるのです。しかし、駄目になる主な原因とは、ガランとするこの世における私たちの恐れ、不信仰、不安だと考えられます。
全能の方である主イエスは弟子たちを始め、私たちの望んでいるものを良く知り、弟子たちと私たちの集まっている所に来て、「真ん中に立ち『あなた方に平和があるように』」(ヨハネ20・19,21,26)と言われています。
主イエス・キリストは弟子たち・私たちの招きを待たずに、自ら進んで真ん中に立ち「あなた方に平和があるように」という挨拶し、平和を与えてくださいます。主キリストは平和を与えてから、私たちの一人一人に「平和の使者になってくださいよ」と呼び掛けています。
「あなた方に平和があるように」というイエスの言葉は単なる祝福でも、挨拶でもなく、真に貴重な賜物です。キリストは約束をした通り、平和を与えます。「私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世に与えるように与えるのではない」(ヨハネ14.27)。
新型コロナウイルス感染症拡大のため、世界中の苦しんでいる多くの兄弟姉妹たちがいますし、国と国との間に対立していますし、不和になっている家庭も、虐待されているこどもたちもいますのです。今月こそ、平和の元后である聖母マリアと共に、聖母と「平和と善」に生きたアシジの聖フランシスコの取り次ぎによって、復活された主キリストからの喜び・平安と力を戴き、また生き生きとすることが出来ますように、心を合わせて平和を願い求め続けましょう。