復活節の喜びと力のうちに、新緑の若葉が美しく輝く季節になりましたが、皆様はいかがでしょうか。

5月「聖母月」に入り、聖母マリアと共に神の永遠の愛と美しさと若さを一緒に眺めながら過ごしたいと思っております。

詩編131には、「主よ、私の心は驕っていません。私の目は高くを見ていません。大き過ぎることを私の及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。私は魂を沈黙させます。私の魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします」とあります。

「主のはしため」として貧しいものでありながら、マリアの生活の隅々までが、聖霊に包まれ、導かれ、既に神の栄光に包まれているということを、私たちは聖書を通して知ることができます。マリアは神のいのち、神のいつくしみそのものによって生きている方でありながら、新しいエヴァとして命を伝える方で、彼女のうちにある命はすべてを受け入れておられます。

マリアも「花嫁である教会」のしるしです。マリアは母であり、絶えず命を与え、食物を与える「母なる教会」のしるしです。今も教会に於いてその同じ役目を続けています。教会は、世界のために神のいつくしみを打ち出す役目を与えられ、貧しい人々、傷ついた人々、病人たちの世話を引き受けねばなりません。私たち一人ひとりは教会の中で、世界のために、マリアがその使者となった神の母性的優しさのしるしとなるように促されております。

美と若さのマリアのイコンがたくさんあります。もちろん、しわだらけの老婆、傷のついたイコンのマリアもあります。それらを見た時、マリアのように、傷にまみれ、この世の旅路に疲れ果てた教会の姿を連想することもできます。

私たちは聖ヨハネのように、十字架のもとにマリアを自分の家に引き取るべきでしょう。私たちはマリアと教会を受け取るより、むしろマリアに私たちを引き取っていただき、小さい子どものように手を引いていただきましょう。

聖母マリアに自分の心の花束を捧げながら、多くの取次ぎを願い求めましょう。

「聖母月」の間だけでなく、マリアのうちに神の永遠の美と若さを眺めながら、マリアと共に信仰生活・日常生活を過ごしていきましょう。

5月13日(主の昇天)の朝8時30分から「マリア祭」と9時ミサ後「信徒集会」が行われます。どうぞ、心と力を合わせてお祈りと協力をよろしくお願いいたします。

過ごしやすい五月晴れの日々ではありますが、体調を崩さないようお気をつけください。お祈りと感謝のうちに!