1月23日は何の日?と聞かれたら、何と答えますか。答えの一つは、蟻の町のマリア、北原怜子(さとこ)さんの命日です。北原さんは1958年、昭和33年1月23日に亡くなられました。場所は、東京・浅草にあった「蟻の町」の貧しい病室です。昭和33年と言えば、立教大学を卒業した長島茂雄さんが、プロ野球の読売ジャイアンツに入団した年に当たります。あれから58年の歳月が流れています。蟻の町のことも、北原怜子さんのことも、ほとんど忘れられています。
しかし、北原怜子さんは、毎年、命日には思い出してほしい人です。カトリック信徒にとっては、忘れられない人だからです。それは、信徒の模範としてバチカン教皇庁が認定しているからです。
北原怜子さんは、聖人に次ぐ福者候補として、日本人で、しかも女性でただ一人、現在調査を受けている人です。高山右近が「福者」に挙げられるのが近いと言われますが、北原怜子さんも、それに続く可能性が高いのです。北原さんは、私たちにより近い人です。昭和4年生まれの現代人です。それに、殉教で血を流したことのない、信仰の自由な時代を生きた人です。さらに、北原さんは、蟻の町の人々とともに、廃品を回収して生計を立てるというリサイクル運動のはしり、を生きた人。まさに現代の環境保護、エコロジーに通じます。このような身近な人が聖人になる、ということは私たちにとって、大きな励みになるのではないでしょうか。
東京の浅草にあった「蟻の町」は、東京都から立ち退きを迫られました。2500万円が必要と通告されたとき、蟻の町の人たちは落胆しました。そんな大金は蟻の町にはありませんでした。そのとき、ただ一人、病床の北原怜子さんは冷静でした。「祈りましょう」と呼びかけ、蟻の町の移転のために祈り始めたのです。寝ていても見えるように、病室の板壁に「2千5百万円」と墨書して画鋲で貼り付けました。北原さんの祈りは、見事に実を結びました。当時の東京教区長、土井枢機卿を動かしました。ドイツ・ケルン教区から贈られた献金が、蟻の町の移転費用に充てられました。東京都も、減額して協力しました。
北原さんは、蟻の町の浅草から江東区への引っ越しが決まったことを知らされて間もなく、息を引き取りました。享年28。北原さんは、いつも神に信頼する祈りの人でした。ロザリオを手にした写真が何枚も残っています。