厳しい残暑が続いていますが、皆様はどのように過ごしていますか。
 今月は先月に続き、教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』の序文ⅡとⅢを要約したいと思います。
Ⅱ.甘美と慰めに満ちた福音宣教の喜び
 教会の福音宣教への招きは、キリスト者にとって、自己実現の真の活力を示されることに他ならないのです。福音を宣教する者はつねに、弔いの時のような顔をしていてはなりません。熱意を取り戻し、さらに増していきましょう。願わくは、現代の人々が、悲しみに沈んだ元気のない福音宣教者、忍耐を欠き不安に駆られている福音宣教者からではなく、すでにキリストの喜びを受け取り、その熱意によって生活があかあかと輝いている福音宣教者・・・から福音を受け取りますように。
 新しい福音宣教は、信者に新しい信仰の喜びと、福音宣教の豊かさをもたらします。その中心と本質は、キリストの死と復活において、ご自身の限りない愛を示された神です。キリストは変わることなく若きままで、新しさの源であり続けます。キリストはそれによって、私たちの生活と共同体を刷新することができます。
 イエスは教会の日々の記念として、私たちに「エウカリスチア」を残しましたが、この記念は、私たちをより深く過越の神秘へと導き入れます。福音宣教の喜びは、感謝に満ちた記念の深奥でたえず輝いています。
Ⅲ.信仰伝達のための新しい福音宣教
 新しい福音宣教はすべての人に呼び掛けられており、それは基本的に3つの領域で実行されます。第1は、通常の司牧の領域です。第2の領域は、「洗礼を受けながらも洗礼の要求することを実行していない人々」です。最後は、「イエス・キリストを知らない人、また拒み続けている人のための領域」です。
 宣教は「今でもいまだに教会にとってもっとも大きな挑戦」であり、「第1に留意しなければならないことです」ですから、「単なる現状維持を目的とした司牧から積極的に宣教する司牧へ」と移行しなければならない。この課題は、教会にとって最高の喜びであり続けます。「悔い改める1人の罪人については、悔い改めの必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15・7)からです。
 福音宣教については、幅広い展開を示す学術論文より、福音宣教者としての一人ひとりの明確な生き方を願っています。そうすることによって私たちは、日常の働きの中心に、神のことばの勧めを据えることができるのです。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4・4)。
 まだまだ猛暑が続きますが、お互いに体に気を付けましょう。
 賛美と感謝のうちに!