『福音の喜び』「神の民における貧しい人々の特権的地位」教皇フランシスコ著

教皇フランシスコが訪日最中に全教会と共に「王であるキリスト」の祭日を祝います。12月1日から待降節に入り、降誕祭を迎える準備が始まります。待降節に入りますと、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2・6-7)を思い起こします。
『福音の喜び』の「神の民における貧しい人々の特権的地位」の項目の中に教皇フランシスコはこのように書かれています。

神のみ心には貧しい人々のための優先席があります。神ご自身が「貧しくなられた」(2コリント8・9)からです。神のあがないへと私たちが至る道のりのあらゆる場所において、貧しい人々がその道しるべとなります。救い主は動物たちに囲まれた飼い葉桶の中で、もっとも貧しい子どもたちと同じように生まれ、神殿に2羽の鳩の雛とともにささげられました。
貧しい人を優先することは、教会にとって、文化的、社会的、政治的、哲学的領域に属することである以前に、信仰の領域に属することです。神からのこの優先的な扱いは、すべてのキリスト者の信仰生活に影響を与えます。
貧しい人は多くのことを教えてくれるのです。彼らは信仰の感覚にあずかるのに加え、自分自身の苦しみをもってキリストの苦しみを知っています。私たちは皆、彼らから福音化されなければなりません。新しい福音宣教とは、彼らの生活がもっている救いをもたらす力を認め、彼らを教会の歩みの中心に置くようにとの招きです。彼らのうちにキリストを見出し、彼らの代弁者となり、さらに彼らの友となって、彼らに耳を傾け理解し、彼らを通して神が伝えようと望んでおられる不思議な知恵を受け取るよう招かれているのです。貧しい人々のための優先的な選択がなければ、「最愛の愛であるとはいえ福音の告知も、人に理解されず、今日の情報社会が毎日私たちに聞かせることばの洪水の中でおぼれてしまう危険があります」。

主の降誕祭を待ち望む私たち一人ひとりは、心を新たにして「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」神に感謝しましょう。そして、へりくだって貧しい人々に学び、彼らのために優先的な選択をもって信仰生活及び日常生活を送っていきましょう。
忙しい年末を前に、お体に気をつけてお過ごしください。賛美と感謝と祈りのうちに!