現在、無関心という利己的な態度が広まっています。無関心のグローバル化と言えるほどに各国に広まっています。他人の問題に関心を示さず、人々の心は冷たくなっていっていると言えるでしょう。四旬節を過ごしている私たちはどうでしょうか。

キリスト者の私たちも例外なく、個人主義と無関心になりがちです。他者や神に対して無関心でいたいという強い誘惑もあります。「恵みの時」であり、「心を新たにする時」である四旬節を機会に、神と兄弟姉妹のところに立ち帰るよう私たちは呼びかけられています。

神に立ち帰るためには、神の愛に心を向けなければなりません。神は、私たちを救うためにご自分の独り子をお与えになったほどにこの世を愛しておられます。神はこの世に対しても、私たちの一人一人に対しても、冷淡な方ではありません。神は私たち一人ひとりを愛しておられ、心に留めておられます。そして、私たちを気遣ってくださいます。もし、私たちが神から離れてしまう時があっても、いつでも探してくださいます。

神の愛は、無関心という利己的な態度を打ち砕きます。神に立ち帰るためには、キリスト者の身分を思い起こすべきです。キリスト者とは、神にいつくしみとあわれみを身につけさせていただいた者、神にキリストをまとわせていただいた者です。それは、キリストのように神と兄弟姉妹に仕える者となるためです。

四旬節は、キリストのようになるために、キリストの奉仕を受けるのにふさわしい時です。私たちは、神のみ言葉を聴き、諸秘跡に与るたびにキリストの奉仕を受けています。私たちは、キリストの奉仕を度々受けることによって、キリストに属する者になると、隣人と神に対して無関心になる余地はありません。キリストに属する者は皆、一つのからだの一部であり、キリストにおいて互いに無関心ではいられないからです。

では、改めて振り返ってみましょう。私たち自身を、自分の家族のきずなや小教区・共同体の生活に生かしているでしょうか。言い換えれば、私たちの家族、共同体、小教区などという組織は、私たちが一つのからだの一部であることを体験できるものになっているでしょうか。私たちは、神がお与えになるものを共に受け、分かち合うことができているでしょうか。最も弱く、貧しく、小さな仲間を認め、気遣いできるからだでしょうか。それとも、できるだけ遠く離れ、関わらないようにしようと思っているでしょうか。

この四旬節の歩みが、すべての兄弟姉妹の皆様と各家庭、共同体、委員会と一人ひとりにとって、実り豊かなものとなるよう祈ります。どうか、私のためにも祈ってください。感謝の祈りのうちに!