2017年2月7日、キリシタン大名だった高山右近の「列福式」が大阪城ホールで行われた。さまざまな職業の日本人福者はいるが、「大名」であった人の福者は、高山右近が第一号ではないだろうか。式には高山右近生誕の地、大阪府・豊能町の池田勇夫町長も招かれた。町長はこんなコメントを新聞に寄せていた。「右近の存在は町にとっても大きな誇り。町が右近の生誕地であることをもっとPRしていきたい」。高山右近の列福が、福音宣教の起爆剤になることを願ってやまない。
右近の父高山飛騨守は、結城山城守や清原外記とともに奈良・沢城にイルマン(修道士)・ロレンソ了齊を招き、宗教について論争した。ロレンソは、盲目の元琵琶法師で、山口で聖フランシスコ・ザビエルの説教を聴いて信者になった人。飛騨守はロレンソとの論争に敗れ、キリスト教を受け入れ、洗礼を受けた。そのとき12歳の息子、右近にも洗礼を受けさせた。
飛騨守高山親子の入信に深くかかわったロレンソ了齊とは、どういう人物だろうか。ロレンソは日本語が十分に分からない宣教師を助けて、各地で伝道した。肥前・平戸島の貧しい村に生まれた。生まれつき、片方の目が見えず、もう一方の目もかすかに見えるだけだったという。平戸を出て、琵琶法師となり、山口でフランシスコ・ザビエルの説教を聴いた。ザビエルが説く「すべてのものの創造主である唯一の神」を信じて洗礼を受けた。
ロレンソは、コスメ・デ・トーレス神父、ルイス・フロイス神父、オルガンチーノ神父らとともに宣教に携わった。当時の権力者ナンバーワンの信長にもフロイス神父と共に何度か謁見している。1569年5月に信長の家来の面前で行われたロレンソと日乗上人との議論が有名である。おもに霊魂の不滅について激しく論じられた。論争の最高潮に達したとき、日乗上人はロレンソに答える言葉が見付からず、怒って「霊魂が見られるかどうか」と言ってロレンソを信長の刀で斬ろうとした。周りの家来に止められ、日乗は評判を落としたという。
ロレンソの行動範囲は遠く、五島列島にまで及んだ。1566年1月に、ルイス・アルメイダ修道士と福江島に渡り、五島に初めてキリスト教を伝えた。領主純定の次男ほか多くの領民が洗礼を受けた。1582年、本能寺の変で信長が倒れた後、オルガンチーノ神父とともに、秀吉に会って、大坂に教会を建てる土地をもらったこともある。
ロレンソ了齊は、1592年2月3日、長崎のコレジオで亡くなった。67歳だった。くしくも命日はユスト高山右近と同じ日である。