長崎の教会群が世界遺産に推薦されるのが延期されることになった。昨年の雰囲気では、2016年こそは、長崎の教会群の世界遺産決定か、と期待されたが、先延ばしになるようだ。残念ながら、高山右近の列福と長崎の教会群の世界遺産、というダブル祝賀はなくなった。それでも、失望することはない。2018年以降の推薦は確実だから、長崎の教会群の世界遺産への登録を期待したい。
昔のことを思えば、日本のカトリック教会関連の建物や遺跡が、政府によって、世界遺産に推薦されるのは、夢のような話だ。徳川時代から明治時代まで、250年以上にわたって日本のキリスト教は禁じられ、激しい弾圧を受けてきた。つい150年前までは、政府はキリスト教を迫害していた。それが一転して、キリスト教の価値を認め、世界に誇れる遺産にしようとしているのだから驚きだ。
長崎に行くといたる所に、カトリック教会の写真が目に着く。観光客が集まりそうな駅やホテル、バスターミナルなどには、教会満載の豪華なパンフレットがあふれている。空港や長崎駅には大型のポスターが、「長崎の教会群を世界遺産に」とアピールしている。公共の自治体ならではの宣伝、PR活動である。大小の旅行代理店も「長崎巡礼」をうたったツアーを組んで、参加者を募集している。こうした宣伝活動は、日本のカトリック教会が真似のできない大がかりなものだ。
長崎の教会群が世界遺産になれば、おそらく全国から多くの観光客が押し寄せるだろう。カトリック教会にとっては、有難迷惑という声もある。しかし、カトリック教会が使命とする宣教活動に、公共団体が協力してくれている、と思えばありがたいことではないだろうか。世界遺産に推薦されている教会群は、いまも生きている。そこには現代に生きるカトリック信者の信仰が息づいている。日ごろ、カトリックとは縁のない生活を送っている全国の人々が長崎や五島列島を訪れる。そこで、観光客が生のカトリックに触れることが出来れば、教会にとっては大きなメリットになる。教会が笛を吹いても踊らない人々が、世界遺産となれば、惹き付けられる。
長崎の教会群の世界遺産への登録が、先送りになったとしても、引き続き、カトリック教会は本来の姿を見失うことなく、信徒一人ひとりの信仰生活を充実させることに集中すれば良いと思う。長崎の教会群は、過去の遺物ではない。厳しい迫害を乗り越えた信仰の営みである。長崎や五島巡礼の参加者の中から真の信仰を見出す人が生まれることを期待したい。