来る2月7日(火)、待ちに待った高山右近の列福式がやって来る。右近が亡くなったのが、1615年2月3日。没後402年にして、福者の称号を与えられる高山右近。どんなお顔をしているだろうか。天国での顔は想像できないが、この世的に考えれば、喜んでおられるだろう。右近は、日本人の福者としては、すでに聖人になった日本26聖人やトマス西ほか16聖人を除いて、394人目の福者となる。どうして、そうなるのか。単純に計算する。日本には9月10日に記念する205福者、7月1日に記念する188福者がいる。これを足すと393人になる。高山右近は、それに続くので394人目というわけである。

それでは、395人目は? 断定はできないが、有力な候補者は現在、列福調査が進んでいる人と考えられる。その人の名前はエリザベト・マリア北原怜子(さとこ)さんだ。北原怜子さんは、現在、日本人で、ただ一人、列福調査が進められている人である。北原さんは1929年1月23日生まれ。もし健在なら、87歳になる。私たちと同世代の人だ。同じ日本人で、このような身近な人が、福者になることになれば、高山右近の列福以上の喜びがないだろうか。

北原怜子さんは、20歳のとき、洗礼を受けた。洗礼名はエリザベト。エリザベトはハンガリー出身の王女で、24歳の若さで亡くなった聖女。夫をはやく亡くし、3人の子どもを育てながら、病人や貧しい人々に手を差し伸べた、福祉活動の先駆者だった。アシジの聖フランシスコにならい、恵まれた身分でありながら、すすんで貧しく生きた。北原さんは、エリザベトの名前を、洗礼を授けてくれた司祭の母親の霊名ということでいただいたという。後に、北原さんが蟻の町の中で人々に奉仕し、貧しく生きたことを思うと、エリザベトは、もっともふさわしい洗礼名だった気がする。

福者に認定されるには、その人の取り次ぎに依る神の恵み、いわゆる「奇跡」が必要条件とされる。普通、不治の病が癒される「奇跡」が列福の決め手になる。北原さんの取り次ぎに依る奇跡が証明されれば、「福者」に上げられる。そのためには、北原さんの取り次ぎを祈らなければならない。奇跡が起こらないと、実現しそうにない恵みを、北原さんの取り次ぎを通して祈ることにしよう。毎日、みんなが熱心に祈ることが出来れば、いつの日か、奇跡を呼び込むことが出来るのではないだろうか。1月23日は、尊者エリザベト・マリア北原怜子さんの命日にあたる。帰天58年になる。