親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご復活おめでとうございます。
復活された主イエス・キリストのお恵み、平安、喜び、希望が皆さんと皆さんの心にいるすべての人の上に豊かに注がれますように。
新型コロナウイルス感染症が続く中、私たちはさまざまな問題に立ち向かい、思いもよらない痛ましい悲劇に直面していました。この災禍の中で私たちは過越の聖なる三日間の典礼を過ごしながら、今まで立ち向かった出来事を震える心で振り返ります。私たちの心身は復活徹夜祭の福音箇所に書かれている婦人たちと同じだと言えるでしょう。婦人たちも、思いがけない痛ましい悲劇に遭い、師であるイエスのような最期を自分たちも迎えるのだろうかと思い、悲しみに恐れが加わり、暗闇の時を生きていたのです。
しかし、厳しい状況に置かれても、婦人たちは身動きもできなかったわけではありません。悲しみと後悔の闇の力に屈することなく、現実から逃げませんでした。彼女たちは、心が闇に包まれても決して愛することをやめず、いつくしみの炎を灯しました。そして、彼女たちは、祈りと愛をもって希望が花開くのを待ちました。明け方に、婦人たちは墓を見に出かけます。そこにいた天使が彼女たちに「恐れることはない。・・・あの方はここにはおられない。・・・復活なさったのだ」(マタイ28・5-6)と告げます。墓の前でいのちのことばを聞いた婦人たちは、それから希望そのものであるキリストに会うのです。
イエス・キリストは、私たちのために墓から出て復活し、“死”のあった墓にいのちをもたらし、石でふさがれていたところで新しい物語を始めました。墓の入り口にあった石を取り除いたイエス・キリストは、私たちの心をふさぐ石も取り除いてくださいます。ですから、私たちはあきらめたり、希望を石でふさいだりしてはいけません。神は復活され、私たちを独りにしておかず、訪れてくださいます。そして、「安心しなさい」と言いながら、私たちに手を差し伸べ、立ち上がらせ、共に歩んでくださいます。
「主はまことに復活された!」「イエス・キリストは復活された!」この良い知らせが全世界の人々に響き渡ります。また、「私の希望、キリストは復活された!」この言葉は、どんな問題も解決する魔法の言葉でもなく、苦しみと死を「飛び越える」ものでもありません。むしろ悪の根源に対する愛の勝利で、深淵の中に道を切り開くことによって苦しみと死を過ぎ越し、悪を善に変える言葉です。苦しんでいる人類の傷をキリストが癒してくださるよう願いつつ、キリストを見つめましょう。