6月は伝統的にイエスのみ心にささげられた月です。私たちは、6月24日(金)にイエスのみ心の祭日を祝います。この祭日が6月全体を特徴づけます。イエスのみ心は、神の愛に関する最高の人間的な表現で、神のいつくしみの優れた象徴です。私たちは民間信心でさまざまな象徴を大切にしていますが、イエスのみ心は単なるイメージとしてではなく、現実的な象徴です。全人類のための救いが流れ出る源泉を表すからです。

福音書にはイエスのみ心がさまざまに表されています。たとえば、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい」(マタイ11・28‐29)。「イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た」(ヨハネ19・33‐34)。ヨハネ福音記者は、偶然に見えるこのしるしのうちに、預言の成就を認めました。十字架上のいけにえの小羊であるイエスのみ心から、人類全体に対するゆるしといのちがあふれ出るのです。

イエスのいつくしみは単なる感情ではありません。それは、いのちを与え、人間をよみがえらせる力です。「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」(ルカ7・12-17)。この「同情」が、諸問題、悲しみ、痛みを抱える人間に対する神の愛です。「もう泣かなくともよい」という言葉でいのちを生み出す神の愛といつくしみを表しています。単なる呼びかけではなく、眠りから覚ますように生き返らせる言葉です。

コロナ禍や武力紛争によって諸問題を抱えている私たちですが、神は私たちを見捨てることなく、いつもいつくしみをもって癒してくださると信じます。主は純粋なあわれみ、いつくしみをお持ちなので、私たちは、主に近づくことを恐れてはなりません。主イエスの方へ共に歩もうではありませんか。

主に近づき共に歩んでいく私たちも、キリストの聖体を拝領して神の愛を感じ、イエスのみ心に倣い、少しずつ、より忍耐強く、より寛大で、よりいつくしみ深い者となることができるように、共に祈りながら努めていきましょう。