主の降誕祭と新年を迎えるにあたり、兄弟姉妹の皆様に心からお祝い申し上げます。

いつも絶えず、公私ともにお祈り、お心遣い、ご協力などをいただき、感謝いたします。主の降誕に世界の平和と兄弟姉妹愛を願いつつ、皆様と皆様の心におられる方々の上に神様からの豊かなお恵みが注がれるようにお祈りいたします。

イエスは私たちの間にお生まれになる「インマヌエル=私たちと共におられる神」です。イエスは私たちの日常生活を共にしてくださるために、喜び、悲しみ、希望、不安などのすべてを通しておいでになります。幼子として寒さの中に、貧しい人々の一人としてお生まれになります。ベツレヘムでお生まれになる幼子イエスご自身が「私たちの平和」です。この世が与えることのできない平和、神なる御父がこの世に御子を送ることで人類に贈る平和です。

イエス・キリストは、また「平和の道」でもあります。イエスは、受肉、受難、死、復活を通し、敵意と戦争の闇に押し潰された閉じた世界から、兄弟姉妹愛と平和のうちに自由に生きることのできる開かれた世界への道を切り開きました。平和を願い求める私たちはこの道をイエスに従って進みましょう。

私たちの時代は深刻な平和の欠乏を体験していると言えるでしょう。主の降誕を見た聖地において、イスラエルとパレスチナの人々が対話と相互信頼の追求を取り戻すことができるよう主に祈り求めたいと思います。この聖地だけではなく、ウクライナにおける戦争も続き、全人類を飢餓の危機にさらしています。すべての戦争が飢えを引き起こし、既に苦しんでいる人々への飲食料提供を妨げ、食料そのものが武器として利用されるのです。

この祭日に、共に私たちの眼差しをベツレヘムに向けましょう。イエスは沈黙と夜の闇のうちにおいでになったのですから、平和を求める私たちはベツレヘムの羊飼いのように、光に包まれるままに、神がくださったしるしを見に行きましょう。「平和の道」を歩いていくためには、私たちの行く手を妨げ、阻む荷物を捨てなければなりません。互いに権力と富への執着、傲慢、偽善、偽り等の悪を捨てましょう。幼子イエスの小さく無垢な御顔に、平和を熱望する世界各地の子どもたち、弱い立場にいる人々の顔を認めましょう。

ベツレヘムは神の単純さを私たちに示してくれます。「神はご自身を知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に、純粋で開かれた心を持つ者にお示しになりました」(マタイ11・25 参照)。

すべての平和と善の源である神は自ら貧しくなられ、私たちの乏しき人間性を味わってくださいました。神の愛に心致し、イエスに従いましょう。賛美と感謝と信頼のうちに!

すべての兄弟姉妹の皆様、主のご降誕と新年のお慶びを申し上げます。