カトリック教会の暦では、今年は11月27日(日)に主の降誕を準備する期間「待降節」の第一主日を迎え、同時に典礼における一年の新しい歩みを始めました。この待降節第一主日から新しい式文を用いてミサを実施することを、日本カトリック司教協議会2021年度第一回臨時司教総会において決定しました。

新しいミサの式次第の日本語訳が変わることに戸惑いがあるのは、信徒も司祭も同じです。そして、それぞれの立場からのさまざまな不満が出るのは仕方がないでしょう。ミサに初めて参加した時の戸惑いや驚きを、ミサを初めて司式した時の畏れと喜びを、この機会に思い出しながら、新しいミサ式次第を実施し、感謝のうちに「待降節」を過ごしたいと思います。

ルカ福音書では、恐れるのではなく、「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」(21・28)と書いてあります。すべてが終わったかと思われた時、身を起こして頭を上げるようにと、イエスは励まして言われます。それは主が助けに来てくださるからです。

日々の生活で、困難や苦しみや敗北や過ちなどに押し潰されずに、頭を上げるにはどうしたら良いでしょうか。イエスは私たちにそのための道を示しています。「心が鈍くならないように注意しなさい。・・・いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21・34,36)。キリスト教生活に霊的成長、熱心な祈り、宣教や福音への情熱がないならば、「眠り込んだキリスト者」になってしまう恐れがあります。そして、無気力、無関心に陥り、楽なことにしか興味を持たなくなります。

新しいミサ式次第の実施と待降節入りを機会に、自分の信仰生活を鈍くしているものは何なのか、自分の生き方を麻痺させている生ぬるさは何なのか、自分を地面に押し付けて頭を抑えている悪い習慣は何なのかを、自問するのは有意義なことでしょう。

信仰生活において「信仰・希望・愛」が冷めそうな時に、祈りは心に再び火をつけ、物事の中心である神のもとへと私たちを立ち返らせ、魂を眠気から覚まし、人生の目的に焦点を当てさせます。

どんなに忙しい時も、「いつも目を覚まして祈り」ましょう。短い祈りをしばしば唱えることも心の助けになるからです。待降節に、例えば「主イエスよ、来てください」と祈ることを習慣づけましょう。そして、多くの戸惑いや驚きや畏れなどがあっても、今までいただいたすべての恵みに感謝しつつ、聖母マリアとともに、救い主の誕生を待ちながら、生まれ変わって生きる恵みと地上に真の平和のために祈りながら前進しましょう。