聖母月にあたり、アレルヤを歌いながら聖母マリアの取り次ぎを願い求めましょう。今、苦悩する世界に希望がもたらされますように、私たち自身と全人類の未来が平和であるように、祈りを捧げながら前に進みましょう。

悲惨な罪の中で、悪と戦争という理解しがたい不条理の中で、私たちは平和を祈り求めながらも、神を無視し、偽りとともに生き、攻撃する心をかき立て、いのちを消し去り、武器を蓄えることを選んでしまいました。兄弟姉妹として生きることを望まれる御父のみ心と、自分以外のすべての人や物事に無関心になってしまった私たち自身を認めざるを得ません。

時まさに、ガリラヤのカナでの婚礼の祝いが困惑に変わった時、聖母マリアがイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2.3)と執り成しを求めたことを思い起こします。聖母マリアよ、コロナ禍とウクライナのことをご覧になって、神にその言葉をもう一度繰り返してください。今日、私たちに希望のぶどう酒はなくなり、喜びは消え去り、兄弟姉妹愛は水をさされてしまったからです。私たちは人間性を見失い、平和を壊してしまいました。あらゆる暴力と破壊を可能にしてしまいました。

私たちも、神の母の助けを願いながら、深い沈黙の中で聖土曜日を過ごした聖母マリアに見倣って生きましょう。

思いもよらない痛ましい悲劇を目の当たりにし、悲しみや恐れの中に置かれても、聖母マリアをはじめ、婦人たちは身動きもできなかったわけではありません。悲しみの中でも悲観主義に陥ることもなく、現実から逃げませんでした。そして、イエスのからだに塗る香油を家に帰って用意しました。心が闇に包まれても、祈りと希望のうちに過ごし、決して愛することをやめず、いつくしみの炎を灯しました。また、悲しみながらも、主を信頼していました。彼女たちも祈りと愛をもって地にまかれた種であるイエスが、この世で新たないのちを芽生えさせ、希望が花開くのを助けました。

コロナ禍と災難の中にあっても、神も聖母マリアも私たちを独りにしておかず、痛み、苦悩、死の危険があるところにさえも訪れてくださいます。たとえ、私たちが弱く、よろめき倒れても、神と復活した主こそが、助けを求めている私たちを立ち上がらせてくださるのです。

今月中、特に聖母の取り次ぎによって、世界平和と一人ひとりの回心のために祈りましょう。聖母に倣って、祈りと愛、希望をもって置かれているところで花を咲かせましょう。