聖パウロは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(一テサロニケ5・16-18)と力説しています。絶えず祈るためにどうすればよいでしょうか。

初代のキリスト者たちは聖パウロの勧めを真剣に受け止めて、「聖務日課」(現在の「教会の祈り」)という方法を考えました。詩編をみんなで唱えることを中心とした「聖務日課」は、特に修道者たちの間で行なわれたものです。詩編は全部で150編あり、初期の砂漠の熱心な修道者たちは一日に150編を唱えていました。現代の「教会の祈り」では150編を4週間に分けて唱えています。

ところで、詩編を唱えるためには識字と時間の制約があり、多くの修道者と一般の信徒にとって不可能だったでしょう。そのため、信徒のなかには、自分たちも「聖務日課」のような祈りができないだろうかと考える人々が出てきました。その人たちは、詩編150編の代わりに「主の祈り」を150回唱えるようになったのです。それが今のロザリオの歴史的な背景になっています。

さらに、ロザリオの祈りのもう一つの背景として、聖母への敬愛があります。人々のあいだに聖母への敬愛が広まっていくにつれて、修道院では、「聖務日課」の他に「聖母の小聖務日課」が付け加えられるようになりました。信徒たちも聖母への敬愛の心を強く持っていたので、自分たちも修道者のように、「聖母の小聖務日課」をしたいという望みが起こってきました。そこで詩編150編の代わりに「アヴェ・マリアの祈り」(天使祝詞)を150回唱えるようになりました。現在でもロザリオの祈りは15連続けるのが一番本格的です。

キリスト信者の私たちは、霊的な糧を必要としながら、家庭、職場、近隣の人々との付き合いの場に飛び込んで、キリスト信者らしく生きる使命もあります。霊的な糧の根源であるごミサで受けた恵みを展開し、深め、そしてからだと心に定着させて生きていくためには、日常の祈りが必要です。

日々の祈りとして、最も適しているのは「ロザリオの祈り」なので、改めて家庭(生活の現場)における個人的な祈りのあり方、家庭内の祈りの素晴らしさ、大切さを見直しましょう。また、初代のキリスト信者の熱心さを見倣い、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様の生き方に従って、コロナ終息とウクライナをはじめとする世界の紛争地での平和、苦しんでいる人、暴力などに深く傷ついている人々のためにシノドス性を意識して「ロザリオの祈り」を唱えて祈りましょう。