兄弟姉妹の皆さま、多くの暗闇の中で福音書の女性たちに手を引いてもらって、復活される神のいのちの夜明けの最初の光を私たちも目撃しましょう。彼女たちは、静かに朝の光が訪れる前に、イエスの体に香油を塗るために、墓に行きました。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。・・・婦人たちが恐れて地に顔を伏せと・・・(ルカ 24・2-5)」

時には、福音書の女性たちのように、私たちも疑問や疑念を抱き、恐れというかたち反応します。私たちは何度も、人生や現実を伏し目がちに見てしまいます。私たちの目の前を過ぎ去った日に固執し、未来に幻滅し、自分自身や自分のニーズだけに関心を持ち、無気力の牢獄にこもり、不満を言い続けてしまいます。このようにして、私たちは墓の前で諦めたり無気力になって立ち止まり、生きる喜びを忘れてしまいます。

しかし、聖書に書かれているように、主のご復活によって、私たちは無の状態から生へと飛躍を遂げることができます。主は復活されました! 顔を上げ、目の前にかかった悲しみや苦しみの覆いを取り去り、神がもたらしてくださる希望へと私たちの心を開きましょう。 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。(ルカ24・5-6)」多くの暗闇の中でも、福音書の女性たちとともに、繰り返してこのことばを聴きましょう。なぜなら、多くの場合、私たちは自分のことばや習慣、考え方などで墓の前で泣き叫んでいるだけで、神を探すことを忘れてしまうからです。復活の神秘を新たにして復活祭を祝いましょう。復活された主キリストに自らのゆるしを 求める勇気、変わる勇気、悪の働きを打ち砕く勇気、従う勇気をもって復活祭を祝いましょう。今日も、主キリストは私たちの中を歩み、私たちを変え、また私たちを解放してくださっています。主キリストとともにいれば、永遠に続く夜はないのです。そして、最も暗い夜でさえ、その暗闇の中でさえ、明けの星は輝き続けるのです。

ご復活は単にイエスの死を悲しむ人々を慰めるために起きたのではなく、悪と死への神の勝利で心を開かせるために起きたのです。ご復活の光は、この福音書の女性たちに喜びを運ぶだけではなく、宣教する弟子たちを生み出すのです。私たちも復活祭をともに祝いながら、喜びと平和と愛をもって毎日の生活のなかで証していきましょう。 親愛なる兄弟姉妹の皆さま、主のご復活おめでとうございます。アレルヤ、アレルヤ!