10月13日、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとした2025年大阪・関西万博が閉会しました。この閉会式は、「For the Futures」と題し、万博に携わったすべての人々に感謝と称賛とエールを捧げる場となりました。

万博が終わっても数多くの人々に良い思い出が残っていることでしょう。私も7月に会場を訪れる機会があり、いくつかのパビリオンを回りました。そこで特に印象に残っているのが、イタリア館に展示されたカラヴァッジョ(1571~1610)作『キリストの埋葬』です。この作品は、十字架から降ろされたキリストの遺体を墓へと運ぶ劇的な場面を、強い光と影の対比によって描いたバロック期絵画の傑作です。ここで、この作品から我々が受ける強い印象と、それを通じて絵画が私たちに問いかけているものは何かを考えてみましょう。印象的なのは「登場人物の目線と構図、明暗の強い対比」、そして「死の重さとそれに対峙する人々の生々しい悲しみ」です。そして、それらを通じて、絵画は「信仰者の私たち」に重い問いかけを投げかけるのです。

その問いかけとしては主に次の3つが挙げられるでしょう。

① 絵画には、イエスの遺体を抱える人々の悲痛な姿が描かれています。しかし、イエスへの目線によって重さや絶望ではなく、復活を信じる希望へとつながっているのです。私たちの人生においても、それぞれ、試練や苦しみや悲しみに直面しても、絶望にとらわれるのではなく、この絵画に描かれた使徒ヨハネと聖母マリアのように、復活された主キリストに希望を見出すことができるでしょうか。

② 絵画の中心にいる、人々に抱かれたイエスの肉体は、死の現実をありのままに示しています。しかし同時に、信仰は、この死をもってすべてが終わるのではないことも教えています。信仰者の私たちも死をどのように見つめ、その先にある復活を信じることができるでしょうか。

③ 絵画の登場人物たちは、それぞれに深い悲しみを抱えています。彼らはイエスの死を悼み、その苦しみを分かち合っているかのようです。翻って私たちは、他者の悲しみに寄り添い、共に苦しむことができるでしょうか。

11月は死者の月です。私たちは、イエス・キリストの「死と復活」を思い起こしながら、全教会と共に死者を悼み、墓の世話をし、永遠の安息の祈りをこめて追悼ミサをささげましょう。この名画を思い起こし、人生の意義を再確認しながら、希望と忍耐力をもって困難を乗り越え、愛をもって喪失感に苛まれる人々に寄り添って共に生きましょう。聖徒の交わりのうちに。