✟平和と善
「カトリック平和旬間」(8 月 6 日~ 15 日)の季節を迎えました。パレスチナ(ガザ)、ウクライナをはじめとする戦争の悲惨さ、苦しみ、悲しみを思い、「霊における対話」を通して、共に平和を祈り、考え、語り、行動する機会となるよう願っています。
教皇ヨハネ・パウロ二世も教皇フランシスコ も「平和の巡礼者」として、戦争という激しい暴力の犠牲となった人々の無念さを思い、現代社会の人々の願いと望みを胸に祈るために訪日されました。キリスト者は、神を愛し、互いに愛し合うよう呼ばれているのですから、私たちも平和の巡礼者であり、平和の建設者でもあります。
巡礼者である私たちに必要なことは、真の平和という目的地に向けて毎日新たに出発すること、再出発を続けること、様々な旅路を進むための熱意と意欲を新たにし続けることです。日々、神の呼びかけに応えつつ、平和と正義と愛を生き、新たな世界に向かう一歩を踏み出そうと自分を奮い立たせ、より良い未来に向かい、それを築くことに全力を尽くすのです。そして各々の使命を再発見しつつ、聖霊の多様なたまものと神の愛と平和に結ばれ、いつくしみと対話と兄弟姉妹愛のきずなで結ばれた一つの家族を建設することを目指して巡礼の旅路を歩むのです。
平和の巡礼者の原動力は、主キリストの復活にあります。これについて教皇フランシスコは次のように言われています。キリストの復活は、「世界を貫いたいのちの力を帯びています。すべてが死んだかのように思われるところにはどこにでも、復活は再び芽生えるのです。この力を止めることはできません。しばしば、神はいないかのように思われることが確かにあります。不正も悪意も無関心も、残酷な行為も減ることはなく、わたしたちはそれを目にしています。しかし、 闇のただ中にあっても、新しい何かが必ず芽生え始め、ついには実りをもたらすこともまた確かなことです」(使徒的勧告『福音の 喜び』2 7 6)。
平和の巡礼者、建設者であるということは、キリストの復活という岩の上から歩み出すことです。たとえ失敗や挫折があっても、起き上がって再び旅を続けましょう。そこにキリストとの新たな出会いがあり、永遠に生きる喜びが見いだせることでしょう。
平和旬間では「霊における対話」を通して皆で祈り、分かち合い、発言と傾聴によって平和の原点に戻り、友愛と平和の礎(いしずえ)になることができるよう、平和の元后聖マリアと「和と善」の精神で生きたアシジの聖フランシスコ、友に命を奉げた聖コルベの取り次ぎによって願い求めましょう。