「さあ、はじめよう。兄弟たちよ、今まで何もしてこなかったのだから。」
これは、アッシジの聖フランシスコが死を目前にして弟子たちに残した言葉の一つと伝えられています。
聖フランシスコは、多くのものを捨てて清貧に生き、福音をそのままに生活して宣べ伝え、さらに小さき兄弟会を創立しました。そうした多くのことを成し遂げた聖人が、それでもなお「今からはじめよう」と語るのです。
彼にとって大切だったのは、「どれだけのことを成し遂げたか」ではありませんでした。どれだけ小さく、貧しくとも、神に寄り添い頼む者として生きられるか、ということでした。
復活された主キリストは、空(から)の墓の前で戸惑った人々の前に現れ、疑いと恐れ、弱さを抱えた弟子たちのただ中に立たれました。聖フランシスコにとって復活とは、強い者への報酬ではなく、弱さの中で神を信頼する者にのみ与えられる、神からの贈り物でした。聖フランシスコはまた、「貧しく、へりくだり、十字架につけられた主」としてキリストを深く愛し、その復活を、権力や成功の中に見いだされるものではなく、小ささの中に宿る光るものとして、喜びと共に受け取ったのです。
復活節を迎える私たちは、主キリストのよみがえりという決定的な出来事を祝います。しかし同時に、それを単に過去の出来事として記念するだけではなく、「今」、私たちの中で始まる出来事としても捉えねばなりません。
聖週間を過ごし、復活節を迎える今、私たちは回心の恵みを願い求めながら、過去の実績に頼らず、置かれている場から福音を生き直さなければならないのです。
それは野心的な再出発ではなく、感謝と賛美から始まる小さな歩みです。
もう一度、神を信頼してみましょう。
もう一度、兄弟姉妹として隣人を見つめ、小さな親切を選び、奉仕しましょう。
もう一度、自然を大切にし、被造物とともに神を賛美しましょう。
そしてもう一度、赦すことをあきらめないようにしましょう。人々の平安と世界の平和の ために貢献しましょう。
聖フランシスコの「さあ、はじめよう」という言葉は、自分の力で何かを築こうとする宣言ではありません。それは、すでに神が働いておられることへの信頼の応答です。
復活の主は、今ここで新しく歩み始める私たちの中に生きておられます。私たちもまた、小さき者として、貧しい者として、喜びをもって新しく歩み出しましょう。復活されたキリストとともに、「さあ、はじめましょう。」
主のご復活、おめでとうございます。 アレルヤ! アレルヤ!!
