2025年聖年のロゴマークは、地球の四方から集まる全人類を4人の姿で表現しています。赤は愛、行動、分かち合い、オレンジは人間の温かさ、緑は平和とバランス、青は安全と保護を表します。彼らは抱き合い、先頭は十字架を掴み、団結と兄弟愛を表しています。巡礼者の旅は個人的なものではなく、共同体的なもので、よりいっそう十字架へと向かっていくダイナミズムを備えたものです。この十字架は、静的なものではなく、動的なもので、人類を捨て置かず、人類に向かって身を伸ばして、存在の確かさと希望 を与えてくださるのです。

人物の下に押し寄せる波は、人生の旅が順風満帆とは限らないことを示しています。「泥だらけの人生」や世界の多くの変動は、より強く希望を求めさせるものです。ですから、十字架の下部は長く伸びて、錨の形に変わって波を制御します。錨は希望の比喩としてよく用いられ、海事では緊急時の予備の錨 を「希望の錨」と言います。

「人間の基本的問題」について第2バチカン公会議『現代世界憲章』には、「現代世界は強力でもあり無力でもあり、善意と最悪の可能性をもち、自由か屈従、進歩か退歩、友愛か憎しみのいずれにも道が開かれている。・・・現代世界が悩んでいる不均衡は、人間の心の中に根を張っているいっそう根本的な不均衡と関連がある。事実、人間自身の中には多くの要素が互いに対立している。人間は、一方では被造物として多くの面において自分の限界を体験する が、他方では人間のあこがれには限りがなく、いっそう高度の生命へ招かれていることを感じる」(『現代世界憲章』序文9.10より)とあります。

この社会の中で、無力や限界や不確定や不安を感じる「泥だらけ」の私たちはどのように過ごしたらよいでしょうか。今年の4月中に教会が行なう主イエスの過越祭(苦難・死・復活)の典礼の神秘を一緒に執り行い、黙想し、大切 な時を過ごしたいと願っています。

信仰者の私たちは、主イエスの十字架の道行を思い巡らし、主がいつも私たちと共に、私たちに向かって身を伸ばし、私たちを捨て置かないことを信じ、「希望の巡礼者」として復活の勝利の喜びと勇気をもって、前向きに、上向 きに、愛の証人として受け入れ合いながら支え合っていきましょう。

利己的諸個人ではなく、聖年のロゴマークのように、共同体を大切にしながら、兄弟姉妹と共にシノダリティをもって十字架をしっかり掴んで復活の喜びと平和、勝利を味わっていき ましょう。お祈りと努力のうちに。