三位一体の神からの恵みと平和が、兄弟姉妹の皆さんにありますように。

大阪高松教区報4月号に教区長である前田万葉大司教は、「世界に目を向けると、国と国との戦争、多民族との争いの中で、圧迫を受けて、人間らしく生きるありかたを奪われ、尊厳を脅かされる人々があふれています。戦後80年を迎える日本では、戦火こそありませんが、いのちが軽んじられ、将来への不安を抱えた人が、世代を超えて多数となりつつあります。私たちはこれらの苦しむ人、悲しむ兄弟姉妹の声に無関心であってはなりません。このような現代の情勢に鑑み、聖年でもある今年の平和月間のテーマを『希望と平和の巡礼者となろう~苦しむ人、悲しむ人とともに歩む道~』といたしました」と書いていました。

今から80年前のこの月(広島市6日午前8時15分、長崎市9日午前11時02分)、原子爆弾により、数多くの貴いいのちも、人々の夢や明るい未来も奪われました。犠牲となられた方々の霊魂のために祈ると共に、平和のために貢献しましょう。

二度とこの惨禍を繰り返さないよう祈りと行動をもって「核兵器のない世界」の実現に向けて努力を積み重ねていきましょう。私たちの願う平和は、神のみ心に基づいた真の平和であるべきです。それは単に戦争や争いがないだけの、見せかけの平和ではなく、人間の不義と悪の現実に対する神の裁きと赦し、救いです。これについて教皇レオ14世は最初の挨拶で、「『あなたがたに平和があるように』―これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神からくるものです」と話されました。

イエスの弟子たちと同じように、私たち一人ひとりも戦いや論争や挑発のためではなく、出会う人々との間に平和(シャローム)を作るために派遣されています。これからも「希望と平和の巡礼者」の心をもって謙遜で、忍耐強い、武器のない平和を意識した揺るぎない生き方をし、恐れることなく、神と、また互いに手と手をつなぎ、対話と出会いを通して橋を掛け合って前に進んでいきましょう。誰もが人間としての尊厳を保たれ、差別されず、平和に生きる共生社会を作っていきましょう。アシジの聖フランシスコの取り次ぎによって、「平和を求める祈り」をささげ、彼の平和の精神を見倣って平和のために貢献しましょう。どうか、あがない主の喜びと平和が全世界に行き渡りますように。