いよいよ梅雨明けも近づき夏本番も迫っていますが、皆様ご機嫌いかがでしょうか。くれぐれもお身体を大切になさってください。

日頃自分の弱さ・他人の言動を思い起こしたり、また暗いニュースを次々と耳にしたりして絶望的な気持ちになってしまう時もあるでしょう。その時、つい現実から目をそむけ、物質的な愉楽で紛らわせてしまう誘惑にかられることがあると思います。それを払拭するには、心に抱く希望と、その希望から生まれる喜びを知る必要があるでしょう。

2025 年の通常聖年は、「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5・5)を生きる機会です。人生のあらゆる出来事において、希望を証する機会です。しかし、それは自分自身の力や地上の力に頼るのではなく、復活したキリストへの信仰に深く根ざした希望であり、永遠の命への希望にしっかりと根ざしている証です。

希望の証人とは、愛、ゆるし、解放の証人です。聖年の最も深い意味は、常に神のゆるしといつくしみの体験を通して、霊的な回心と刷新を促進することです。回心して人生を刷新することで、私たちは深い希望を持つことができます。ゆるしの秘跡を受ける部屋は、私たちが刷新の経験を生き、よりキリストに似た者となり、信仰と希望における聖性の旅を続けるための場所です。

故教皇フランシスコは、2025年の通常聖年公布の大勅書の中で、私たちに「希望に満ちあふれている」(ローマ15・13参照)ようにと招き、私たちの心に抱く信仰と愛を、説得力をもって魅力的に証するようにと呼びかけました。希望の証人となるには、信仰のうちに喜び、愛のうちに情熱を抱くことです。それによって内面から自然に表れるちょっとした微笑み、親しみのしぐさ、兄弟姉妹のとしてのまなざし、真摯な傾聴、無償の奉仕を、イエスの霊において豊かな希望の種となることを感じつつ他者に差し出すことになります。

6 月14日(土)にサンピエトロ大聖堂で行なわれた聖年の謁見で教皇レオ14世は、「イエスは私たちの間におられる、永遠のいのちです。・・・・私たちもそれぞれの町に戻り、今日、壁があるところに橋をかけようではありませんか。門を開き、世界を結びあわせようではありませんか。そうすれば、希望が生まれます」と話しました。

これからも「信仰・希望・愛」を新たにして「希望の巡礼者」として歩み、希望を証して生きることができますように。また、傍観者ではなく、平和の使者として大阪高松教区の皆様と共に「出会いと平和の文化」を作り出し、「壁のない世界、橋を架ける世界」を目指して「平和月間」を一緒に過ごしいきましょう。
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」。(ローマ15.13)
Pax et Bonum(和と善)