アッシジの聖フランシスコは、生涯を通して「小さくなられた神」を見つめ続け、キリストの貧しさと遜(へりくだ)りを深く愛した聖人でした。その愛は特に、聖体に対する深い尊敬と信仰のうちに表れていました。彼にとって聖体は、単なる象徴ではなく、まことに現存されるイエス・キリストご自身でした。

聖フランシスコは、神が小さなパンの形をとって人間のもとに来られることに、尽きる ことのない驚きを抱いていました。彼は、「『人の子よ、いつまで心をかたくなにするのですか』(詩編4・3)。どうしてあなたたちは真理を認めず、『神の子を信じないのですか』(ヨハネ9・35)。御覧なさい、主は、天の玉座から処女の胎内に降(くだ)られた時と同じように、毎日遜っておられるのです。毎日謙遜な姿で私たちのところにおいでになるのです」(『アシジの聖フランシスコの小品集』p.30)と語っています。 だからこそ彼は、「私たちも、肉眼でパンとぶどう酒を見て、これこそキリストのいと聖なる生けるまことの御体と御血であると悟り、堅く信じましょう。」(同書)と告げ、祭壇や聖器、ミサを非常に大切にし、司祭たちにも聖体を敬虔な態度で扱うよう強く願いました。

私たちは、便利さや効率を優先する現代社会の中にあって、「慣れ」に支配されやすく なっています。毎週ミサに参加していても、聖体の神秘に対する驚きや感謝を失ってしま うこともあります。聖フランシスコの生き方は、そのような私たちに大切なことを思い起 こさせます。それは「聖体の前で、驚き、感謝、畏れの心を持つ」ということです。神は誰もが受け入れられるように、小さなパンの姿となって来てくださいます。この神の遜りに気づく時、私たちの心もまた変えられていきます。

また聖フランシスコは、聖体への愛を祈りだけでは終わらせませんでした。彼は貧しい人々に仕え、傷ついた人々を抱きしめ、すべての被造物を兄弟姉妹として大切にしました。なぜなら、聖体のうちにキリストを受ける者は、日常生活の中でもキリストの愛を生きるよう招かれているからです。

今、世界には分断や争い、不安や孤独が満ちています。その中で、アッシジの聖フラン シスコは静かに私たちへ語りかけているようです。「聖体のうちにおられる主をよく見つめ なさい。そして、その主と同じように、小さく、優しく、人を生かす者となりなさい。」

これからも聖フランシスコを見倣って、聖体への深い尊敬と感謝をもって、日常生活の中で主の愛を証していくことができますように。