カトリック教会では、マリア様に対する祈りの中でも、幾世紀にもわたって大切にされてきた信心として、ロザリオがあります。

「ロザリオの月」なので、聖母マリアの姿を思い起こしながら「社会と教会における母親の役割について」考えたいと思います。

誰にでも母親がいます。母親のおかげですべての人が生まれ、命を得て人間的に、また霊的に成長します。母親については多くの詩作や芸術作品を通して表現され、賛美されていますが、日常生活においては、意見を聞き入れられなかったり、社会の中心に役割が位置づけられなかったりすることもあります。教会共同体の中でも、母親たちは常に正当に扱われているわけではありません。それでも、教会生活の中心はイエスの母です。母親はいつも自分の子どもや、時には他者のために自分自身を犠牲することができます。ですから、母親の声は、もっと聞き入れられてもいいはずです。私たちは、母親の日々の苦労をもっと理解すべきです。自分の事より充実させるために、また家族を気遣い、愛情を傾けるために日々、奮闘している母親たちのことを、私たちはもっと理解すべきです。

母親のいない社会は人間性を失った社会です。母親は、しばしば信仰のもっと深い意味を伝えています。人生において、信仰の価値は子どもが学ぶ最初の祈り、最初の信心のうちに刻まれています。キリスト者の母親は言葉で表されなくとも信仰を伝え、貴重な信仰の種を蒔くことができます。母親なしには、新しい信者は生まれません。それだけでなく、信仰そのものからも、純粋で深い温かみがほとんど失われてしまいます。

私の家には7人の兄弟姉妹がいます。我が母は私の小さい頃から毎日の朝晩にずっと教会に連れていってくれました。寝る前に家族全員と晩の祈りとロザリオを一緒に唱えました。今、闘病生活を送っている母親ですが、結婚生活を送っている子どもたちのためにも、修道司祭生活を送っている私と弟のためにもいつも祈ったり心配したり励ましたりしてくれます。私自身としては今ここまでできるのは母親のおかげだとよく感じています。

私たちは、肉親の母親だけでなく、別の母がいます。それは聖母マリアと教会です。聖母マリアと母なる教会がいるから、私たちは孤独ではなく、いつも聖母マリアの子であるイエスと共に、他の多くの信者と共にいます。ですから、いつも執り成し見守って下さる聖母マリアと、愛すべき母である教会に感謝しながら母親たちのために祈りましょう。