日増しに寒さがつのってきましたが、皆様はどのように過ごしていますか。

「ロザリオ」と「福音宣教のための特別月間」としての10月が終わり、「死者のための祈り」の11月に入ります。心を合わせて亡くなったすべての人が父なる神のみもとで永遠の安らぎを与えられ、残された家族には平和、慰めと励ましがもたらされますように祈りましょう。

「福音宣教のための特別月間」が終わったとしても、宣教は世の終わりに至るまでずっと続けます。「出向いていく」教会についての先月号に続き、今月号は「開かれた教会」を紹介したいと思います。

「出向いていく」教会とは、門の開かれた教会です。開かれていることの具体的なしるしの一つは、どの教会でも門を開いたままにしておくことです。救いの門及び秘跡の門は、いかなる理由があっても閉ざされるべきではありません。私たちは慎重かつ大胆に考えるよう招かれているのです。教会は税関でもなく、恵みの管理場所でもなく、恵みの分配場所です。人生における困難を抱えた一人ひとりのための場所でなければなりません。

教会は、すべての人にイエスのいのちを差し出すために出向いて行くことで事故に遭い、傷を負い、汚れたこともあります。心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません。教会は例外なくすべての人のもとに、特に、福音書の中に、明確に示される友人や隣人の富裕者ではなく、むしろ貧しい人や病人や「お返しができない(ルカ14・14)」人などに行き着かなければなりません。

隅に追いやられている人々のもとへ出向いて行くことは、やみくもに世界をかけずり回ることではありません。足を止める、他者に目を注ぎ耳を傾けるために心配事を脇に置く、道端に倒れたままにされた人に寄り添うために急用を断念することも必要です。私たち一人ひとりは、放蕩息子の父のように、帰ってきた息子がすぐ入れるようにと門を開けたままにしなければなりません。

「エッファタ(開け)」(マルコ7・31-37参照)。11月に当たり、亡くなった方々が一日も早く開かれた神の国に迎え入れられるようと祈ると共に、神そして他の人々との交わりを私たちが完全に生きることができるように祈りましょう。聖母マリアと諸聖人の執り成しによって、私たちが日々、信仰・希望・愛のうちに、「エッファタ」の奇跡を体験することができますように。アーメン。